氷冷の冷凍庫

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看取り

祖父を看取りました。備忘用の記録です。
乱文ですが、思ったことをかなり正直に書いたので参考になればと。

4月9日
23時前頃危篤の連絡*1が来る。施設からの連絡を受けた親の対応と雰囲気で今回は本当にまずいと感じた。親は現場へ直行し、残りは自宅待機。結局その日は容態が低空飛行のまま朝を迎えてしまう。


4月10日
午前休を作り弟と祖父の元へ。報せを受けた為か部屋には叔母2*2と従姉、従姪がいた。祖父はぼんやりとだけど意識があり、目線だけで亡き祖母の写真を追っていた。
(従姪が何歳か忘れたけど部屋の物弄って倒したりぐずったりと非常にアレだった。片道3時間程かかる道のりをなぜ3歳程度の子を連れて来たのか。)

元々、叔母2と母親は折り合いが相当悪く、祖父の遺産分与とか葬祭について私に探りを入れてきたのが結構気分悪かった。

その日は21時過ぎに仕事を終え軽食を買って施設へ向かう。向かってる最中にまた容態悪化の連絡を受けたため急いだ。終電の時間が近付いた為、埼玉から来てる親族は解散。母親と弟と私は部屋に泊まり込み。少し意識があったから緑茶やなっちゃんを少し口に含ませたり話したりして過ごした。関係ないけどこの日買い出しで怖い目に遭い泣きそうになった*3


4月11日
うつらうつらしてて気付いたらam6時を過ぎていた。祖父のバイタルは低いものの安定していたので一時帰宅。午後の実習は実質的に休めないものなので出席、でも相当消耗してたみたいで患者型マネキンに寄りかかって寝落ちてしまい怒られた。実習終わる頃、バイタルが正常に回復したと連絡をもらったのでその日は施設に行かなかった。
その間も母親は祖父の元につきっきりで、たまに家に帰ってきては倒れるように寝、起きてはイライラし怒鳴り散らすなどかなり不安定な様子だった。
正直、母親も心配だし、祖父もずっと苦しそうというか本当に辛そうなのが見て取れたので、人の死を願うのは正しいことではないけど、早く終わって欲しかった。


4月12日
忘れた。


4月13日
度重なる容態悪化で汗かいて全身ベタベタでそのまま逝かせたくないという話から入浴をさせることに。こんな時に入浴したら却って死期が早まるのではと思ったがもしかすると逆にそれが狙いだったのかな。13日の金曜日なんて本当に不吉だなとか思ってた。夜23時頃帰宅したら、やはりバイタルは安定してたらしいのでのんびりビール飲みながら夜更かししました。


4月14日
お昼頃起きてだらだらしてた。母親と弟は祖父のお見舞いに。一度急落した容態が回復するとなると長引きそう、長丁場が考えられるなら毎日気張って通い詰めると持たない、弟と交代で私は日曜行こうかなーと思いながら、家事やら犬の世話やらしてのんびり過ごしてた。2130頃、母親達が帰宅。バイタルは依然安定しているけど、血尿が出ているとのことでやはり予断を許さない状況だった。看護師によると来週中が勝負という話だったけど、もう何度も危篤の知らせを受けて感覚がおかしくなってたのかな、生きながらにして緩やかに肉体が崩壊していくのはつらいからもう来週まで頑張らなくていいから早く終わってくれとしか思えなかった。それと同時に、終わったら今度は葬儀だなんだで揉めるのか、と思うともうなんかどうでも良いというかただ何も考えたくなかった。冷たい人間でごめん。


4月15日
am3時頃、容態急変の連絡を受け母親が向かう。0345頃、死亡。

問題はその先。
人が死ぬということは、ただ単に悲しいや寂しいじゃない。まず死亡診断書、施設の契約終了手続き、遺体安置所の手配、檀家やってるお寺への連絡、見積もり、遺品整理、遺産相続手続き、やることは山積みで、一つ一つは難しい手続きじゃないけど、時間との戦いだったりするもの(特に安置所と葬祭関連とお金関係)は日々寝ずに看取りをやり切った人がうまくこなすのは相当難しいと思う。
最初は通夜なし葬儀なし千葉の火葬場で焼いてお骨をお寺に持っていくという話だったのに、埼玉の檀那寺が墓に入れるにはこちらで葬儀をすること等と条件をつけてきて、トントンと檀那寺で葬儀をすることに。日程も私達の都合ガン無視で決定。私は試験日に葬儀をぶつけられ仕方なく不参加に。
ならせめて通夜はなしで家族葬にして血縁者だけでひっそりと・・・という交渉に入ったのだが…。
亡くなる前は50万程度の見積もりだったのに、読経代・手数料・お花代・衣装着せ替え・料理・安置代etcと見積もり費用が一瞬で100万近くなった。叔母2は仏壇買いたいとか言い出すし、なんか、こういう奴らって本当に本当のところでは故人のこと考えてないんだよな。
あと気に食わなかったのは葬祭業者。お前何見積もりの話の最中ニヤニヤしてやがんだよ。ふざけんな。
どうでもいいけど、叔母1*4が遺品整理にほぼ空き家となってた祖父宅で真っ赤に染まった位牌を見つけたり発狂した隣人が祖父の家に不法侵入してたりで問題しかなかった。
最後は、施設の人総出でお見送り。祖父を乗せた担架をミニバンに積み、出発。私は大学の都合で葬儀にも四十九日にも出席できないため、これが本当の祖父とのお別れでした。

これで、おしまい。

*1:母方の祖父。88歳。肺がんステージⅣ。

*2:三姉妹の次女。母親は三女。

*3:深夜の買い出しでチンピラが万引きするところを目撃してしまい追いかけまわされた。

*4:長女。